2011年08月30日
第三舞台が復活して解散
朝日のような夕日をつれて僕は立ち続ける
きらめく恒星のように
立ち続ける事は苦しいから
立ち続ける事は楽しいから
朝日のような夕日をつれて僕は一人
ひとりでは耐えられないから
ひとりでは何もできないから
一人である事を認め合う事は
たくさんの人と手をつなぐ事だから
たくさんの人と手をつなぐ事は
とても悲しい事だから
朝日のような夕日をつれて
冬空の流星のように僕は一人
大学時代に私を、星の数ほどある小劇団の世界へ引きずり込んだ発端。
それが第三舞台だった。
靴を脱いで、それを劇団員に配られたビニール袋に入れて、
椅子もない会場で体育の座り方をして、息を殺して見入っていた。
大笑いしたり、クスッと笑ったり、ちょっと涙ぐんじゃったり。
それで、どうして解るんだろう。と、思った。
私の中の、どうやっても満たされないこのアナボコのことが、どうして解るんだろう。
私でさえうまく口で説明できなくて、そのくせ人に分かってもらいたくて、
どう表現したらいいのかわからなくて、
エキセントリックな行動に出てみたり(笑)ひきこもってみたり、いろいろやってるのに。
劇中の、一つの台詞が私の思いを表していたり、
私の不安の答えになってたりするもんだから、大げさに言うと私は生活から第三舞台を外せない、
ホリックになっていた、と、思う。
それでたぶん、そういう人がたくさんいたのだろう、
スズナリの体育座りから、本多劇場、紀伊国屋ホールと、
キャパがどんどん増えて行った。時代の寵児みたいになっていった。
それでも、どこにも誰にも迎合することなく、
第三舞台の芝居はずっと、同じことを言い続けてたような気がした。
劇団を「封印」していたのは知っていた。解散でなく封印。
だからまた、第三舞台としてやるんだと言ってたけど、
たぶんフェードアウトするんだろうな、なんて思っていた。
少し前、新聞で封印解除、そして解散公演をやって解散、という記事を見つけた。
やるんだ。。
そして、ホントにこれが最後になるんだ。
私は、行きたいのかな、行けるのかな。と、考えていた。
それから、その頃一緒に見ていた人達や、
あの頃の自分とその周りのことを、強烈に思い出していた。
ちょっと大人になって、今ならほんの少し解りかけてきた(ほんのちょっとね)
他人に対しての依存。他人がいないと自己が見いだせない共依存。
第三舞台の芝居は、
共依存を諭すわけでもなく、
こうすれば依存しなくてもやっていけるよと提案するわけでもなく、
ただただそれを認めて表現してくれていた。んだと思う。
そしてそれが、あの頃ありがちなアングラの、抽象的な、
「まあ観てるあんたがたには解らんかもしれんが」的な、自己満足した表現ではなくて、
とてもわかりやすく、笑いを交えた芝居に変えて見せつけてくれるから、
私たちは余計に切なく、共鳴していたんだと思う。
私が、解散公演のことを知って思い出していた友人が、
同じように私のことを思い出してくれてた。
私が婆さんになっても感動できるか知りたい。
コスダやオオタカやカケイが、ジジイになってもどれだけ動けるか観たい。
第三舞台の最後を見届けたい。そんときは一緒に行こうね。お互い、どんな状況でも。
約束、思い出してくれてありがとう。
HPで鴻上が、
10年、どうすごしていましたか?
人生はハードでしたか?
なんとか生きていましたか?
この10年間は、あなたにとって、どんな10年でしたか?
と、書きだしていた。
ハードでしたとも!
と、声に出して言いたかった(笑)
でもそれだって、自分がどこかで望んでそうしてきたこと。
へっちゃらでしたとも!