2024年11月12日

傷から入り込む音楽とそれを大切にしてしまうわたし

わたしが東京から逃げるように帰ってきて
すべてを諦めて静岡で暮らすことにしたちょっと前。

わたしは東京で知り合った東京のひととお付き合いをしていました。
そのひとはマッチョで
一緒にどこかの観光地に遊びに行くとお土産物屋さんのおばさんに
「あらアンタいい男だねえーこのあいだロケで松平健が来て近くで見たけどアンタのほうがハンサムだよ」
と言われるくらいのハンサムでした。
ハンサムで、そして海沿いの茅ケ崎のラブホテルにいくのにカーステレオからチューブを流し、
サザンを愛し、イタリア料理店に行ってもファミレスに行っても一口目に変な顔してワインを飲み、自意識の塊のようなまっ白いボアの付いたジージャンを着てきて、満員でぎゅうぎゅう詰めの地下鉄で「メイク気を付けてよ」とわたしを遠ざけ、自分の友達と会わすときはわたしの腰に手を当ててわたしを紹介するような男性でした。
わたしが静岡へ帰る帰らないで真剣に、タイトロープの上でゆれていた時
彼はまあ遠距離恋愛なんてどうってことないさと雨の夜更けのJR東海の新幹線の駅のホームを思い描いてむしろキラキラしているようでした。
「画面の中にいるから触れないアイドルよりも隣のオタク」をつねに自分のオトコとして選択してきたわたしは、遠距離恋愛を続ける自信が皆無でした。
それもあり、黙りがちな彼の車の中で流れていたのは
当時大ヒットしていた東京ラブストーリーの主題歌でした。
ご多分に漏れずあの曲に感動していた彼はこともあろうにカセットテープに録音してリピートして口ずさんでいました。

東京の、
ラブストーリーを
放棄しようとしてるのに(字余り  佳世子

というわけでわたしは今でもあの曲を聴くと、きゅん、ではなくて、ぎゅ、っとハートが萎縮するのでした。もちろん、嫌いではないのです。とても分厚くて、でも吹けば飛ぶほど軽くて、探しに行ってももうそこにないことがわかっているからこそ切ない、東京時代を、思い出してしまうのです。


静岡に帰ってきて
わたしは結婚し、母を亡くし、離婚しました。
程なくして、父が癌を患いました。医者からはあと持って3ヶ月ですと言われ、わたしはそれを父に隠して最後まで過ごすことに決めました。

食が細り弱っていく父との外出の時、助手席に座るのがきつい父は後部座席で横になるように座っていました。
わたしはそんな風に弱っている父を信じたくなくて、ずっと他愛のない話をしていました。
話が途切れて、なんとなく2人で黙った時、カーラジオからサイモンとガーファンクルの曲が流れてきて
父が、掠れた声でそれを口ずさんでいるのが聞こえた時、わたしは急にたまらなくなって前を向いたまま泣いてしまいました。

もうじき
持って3ヶ月で死んでしまうわたしのパパが、死ぬことを知らずにか細い声で曲に合わせてハミングしてる。
どうしよう
このひとほんとにいなくなるの?
そう思ったら涙が止まらなくなってしまいました。

だからわたしは今でもその曲に弱いです。もう泣かないけどな笑


わたしの中に
そんなのが数曲あります。
それがほんとに切ないです。切ない、というのは豊かな気持ちには違いないけど、切ないです。


だから
わたしは何か、やば、と思う時期は車の中をミュートにします笑
もちろん、そんな隙間を狙って奴ら(曲)はわたしの中に爪痕を残そうとします。

独り立ちする長男を浦安まで送って行った時も
大学進学した次男を大阪に置いてきた帰り道も
わたしの車の中は無音でした。
その時に
まかりまちがってくだらねえ曲が流れてたりしたら、わたしはその曲を『一生モノ』にしなくてはならなくなる。それだけは絶対に阻止したい笑

それで
なにがいいたいのかっていうと
今わたしの車の中は混沌で、無音になったり寂しくて曲が流れたりしています。不安定なお年頃なのでしょう。
まーもちろん
こうやって文章を発信しているくらいなので大したことないのかもしれません。
しれないのですが、今日うっかり油断してちょっと音楽をかけていて、
「ディオネア・フューチャー」
で泣きそうに笑
やっぱり、ドラムを始めたせいですネ

「切なくなる曲大全集」の中にツーバスの曲が入ってくるとは、この歳になって思いもしませんでした。

長生きはするものですネ



  


Posted by カヨ at 07:53Comments(2)ブログ思う日々