2019年08月27日

静岡学園 中体連全国大会 ベスト4 だった日々







2019 夏


きっとまだまだ続く次男のサッカー人生物語。
でも、この夏は特に、あとで読み返す時に「付箋」が貼ってあるだろう、そんな章でした。


中体連全国大会 ベスト4


準決勝戦はもう、言いたいことは山ほどあるけど(笑)運も実力のうち。


月曜日の開会式から金曜日まで
土地勘のない奈良、橿原で
自分の息子を、熱烈ファンのように夢中で追いかけ回したり
性格も年齢も違うママ達とお風呂に入ったり話し込んだり遭難しそうになりながら観光したり
わたしにとっても忘れられない夏になりました。


偶然
なんてなにひとつなくて、すべては必然だよ、と人に言われても
何か強い力を思い知らされたり
何度も何度も何かを気づくように仕向けられたりすると
わたしは複雑に絡まりあった偶然で、今ができてるような気持ちになります。



そもそも。

そもそも、わたしが次男を、
役所に初めに勧められた保育園に通わせていたら、
彼はサッカーをしていなかったかもしれないのです。

勧められた保育園を蹴って通った保育園の向かいの小学校で毎日少年団が練習をしていて、
それを横目に送迎されていたから彼はサッカーに興味を持ったのです。

いざ小学校に上がり、自分の学校にはチームがなかったので少年団を選ぶことになり
わたしは、私が送迎しやすいという理由で事務所の近くのチームを勧めたのですが、
次男と夫は古豪で戦いたいと、敢えて厳しい少年団を選びました。

6年になり、J下部のセレクションに残れず、私立一貫校に行くと言い出し、
夫は過去の実績と、なんとなく静学がキライで(笑)他校を勧めたし、
次男も当時中学サッカーでは一番だと思っていたのでしょう、夫が勧める学校に行く気まんまんでした。

夏になり、それでも一応ほかの私立中学の練習会に参加してみると、
行く気まんまんの中学の監督は
「中体連の県大会で優勝を目指している」
と言い、
静学の監督は
「プロに通用する足技を身につけてもらう」
と言ったのだそうです。

次男はその日から、静学に行くことしか考えなくなりました(笑)
わたしと夫と塾の先生がどんなに慌てていても(学力的に 笑)
彼は静学でサッカーをしてる前提の考え方に切り替わってしまっていて、
わたしは
「あんなノリノリな感じでも受験に失敗したら元も子もないのにほんと可哀想な子」
と、夜な夜な涙する日々でした(嘘です)
合格発表の日、わたしと夫は
「ヤスチケル落ちる前提」
で学校へ見にいきました(笑) そのまま、二次試験を申し込む気満々で。
そしたら奇跡の合格。
ウズウズが止まらない次男は入学前から静学の練習に参加。
入学すると同時に正式入部、
66番という背番号を選んできて、朝から晩まで球に触ってきました。


そしてそこから一気に
全国ベスト4まで。





色々選べたように見えるけど、この道しかなかったんだというのが
真実だと思います。


でも
何かが1つ違っていたら
あのメンバーで
あの親達で
奈良のあの場所で
子供達のプレーで喉が死亡するほど叫んだり
気持ちよくなったり
落胆したり感動したり
してなかったんだな、って思うと
不思議だしありがたいと心からそう思いました。


準決勝だけ日帰りで見にきた夫が
「よくやったよ」
と一言だけ
震える声で言いました。
いつもは試合後に、色々な分析をしてダメ出ししたりもしているのにね。
それは
次男にだけでなく、あの時破れて決勝に行けず、終わった瞬間に頭を抱えたり、小さい子のようにお腹を出してユニフォームの裾で顔を隠すように涙を拭いてたチームの子みんなに対して言った言葉だと思います。


わたしも
これで終わりなのだという実感が湧きませんでした。
おこがましいかもしれませんが
行ける気でいました。全国制覇。






でも、正直なところ、一回戦からずっと夢みたい、と思ってた。
全国から勝ち上がってきたチームの中に自分の子が所属するチームが並んでいる。しかも、自分の息子は10番をつけてる。
1戦1戦、夢中で応援して、勝ちあがって、次も勝って欲しいと本気で思いましたが、
不思議なことに試合ごと、幸せで満足していました。
楽しくて楽しくて、次男にもチームにも夫にもママ達にも、ああ ありがたいやー、と、感謝してた。
わたしは何にもしてこなかったのに、こんなに幸せな気持ちを味わえて、
それはもうこのままプチンと何かが終わってもいいくらいの満足感でした。






1回戦の対戦相手は去年ベスト4までのこったチームでした。
たぶん、勝つ気満々だったのだと思いますが、
試合が終わると何人かがピッチに倒れるようにして泣いていました。
「ああ泣いてる・・」
と、わたしがつぶやいたら
隣でみていた有名な指導者のおふたりが
「いいんだよあいつらはどうせ今日の夜にはケロッとしてるんだ」
と(笑)
たくさんの子供たちと、たくさんの真剣な試合を見てこられたおふたりが言うのだから、
きっとそうなのでしょう。
そうじゃなきゃ、だめなのでしょう。

次男も実際、
帰ってきた次の日からいつものように自主練に行き、
月曜日も火曜も朝練するわと家を早めに出ていきました。

来年はいよいよ高校サッカー部に入ります。
いま、中学三年生は部員が40人ほどいますが、きっと来年は100人を超える同級生のなかで揉まれることになります。
その中で、彼がどんな風に考えて何をするのか。
人生の中で一度もアスリートになったことがないわたしには
その思考の「回路」自体がよくわかりませんが
わたしにできることは
過去のデータやその時々の情報でプレイヤーとしての彼を決め付けないこと
ただそれだけです。自由にやればいい。

ただ、3万近くするスパイクの画像を送ってきた場合は
それなりのゴール数と、家事手伝いを強要しますが(笑)



もう、
なんどもなんどもこういう機会に言ったかもしれませんが

次男にはサッカーを ずっとやっててほしい。
だって、子供がサッカープレイヤーでいる間、親はずっと楽しめるから・・






画像はゲキサカから拝借したりしました。ありがとうございます。