2024年11月21日

ひとの親になって30年たちました


11月21日 長男の誕生日。30歳になりました。

結婚して遠いところに住み、すっかり疎遠。でも今朝ちょっとメッセージを送りました。

こんなふうになってるなんて夢にも思っていなかった、
アンタを産んだときは
〇さん(←長男のお父さん)と、普通に「家族」していくつもりでいたと笑

長男が生まれた30年前の今日、わたしは何も知りませんでした。

調子が悪いといいつつ初孫の誕生を楽しみにしていた母が実は難病でその9か月後になくなることも
子供が生まれて嬉しそうにしている夫が複数人の女性とつきあってることも
当時専業主婦だったわたしが一念発起してもう一度建築会社に勤めることも
「社会」に出たらやたらモテて、あれ実はこんな浮気オトコ邪魔なだけじゃね?と気が付き夫と離婚することも
そのあと父が癌で亡くなることも
二回目の結婚をすることも
チカ君を産むことも
会社を立ち上げることも

もちろん何もかも知りませんでした。
知らなかったし、ほかに選択肢もなかったように流れ着いて今があるので
どうしようもなかったけど、なかったんだけど

いろいろあったなー笑
いろいろあったなーっていうともうそろそろいろいろいい感じにたたみ始めているような言い方になりますが
いまのわたしは
ああここへきてこういうスピードの流れのなかでこういう景色を見せられるんだな、
というくらい
なにかを見せられて、なにかを変えろと促されて、飛び込むのか抜けだすのか受け取るのか捨てるのか分からないのですがとにかくムズムズさせられています。
そのムズムズする感じが本当に不安でどうしようもなくなったり、逆にワクワクしたり、いろいろな感情に振り回されています。
わたしが未だに、たまに「あーママが生きていてくれたらな」と思うのはこういう時です。

ねえママもさ、こうだった?
わたしぐらいの年の時、こうだった?

29歳で、そういうことを聞ける対象を失ったのは本当に痛かったな。

子供が具合が悪そうなとき
仕事との両立で悩んだとき
夫との関係性や自分の恋愛観に疑問を持ったとき

ママもあった?そういうことあった?
と、何度聞きたかったことか。今だってそうです。
例えば今でもお母さまが健在の友人に言わせたら、そんなのは幻想だと、半分ボケた老母といがみ合ってるだけだと笑われますが、
わたしにとっての母はもうあの頃のあの感じのあの人しかいないので、妄想はとても理想的できれいなものになってしまうのです。

わたしは20代の頃、50代の母が好きでした。華やかで面白くてでもちょっと抜けていて、抜群にセンスがよくて。
母が死んだとき、わたしは「座標がなくなった」ような感覚がずっとしていました。
母がいなくなって、初めて行った美容院で
「今日はどうしますか?」
と聞かれた時、ああわたしはもう母を気にしないで好きな髪型にしていいんだと思ったくらい、影響されていました。
だから余計に、いまでも「ママだったらどうする?」と思ってしまうのかもしれません。




長男には、

お母さんもおめでとう

と言われました。なんだか上から目線でいいこと言おうとしてる感じが腹立たしいので、わたしが死んでからもわたしの影響力に苛まれるように、存在感のある女になるようこれからも精進しようと思います笑

あたし、
母親30年おめでとう。そしてあのヤスチカももうすぐ20歳です。
リビングで本を読んでいたかと思ったら急に「うんこ」と言って立ち上がり、トイレに向かいながらおズボンとブリーフをヘンゼルとグレーテルのように脱いでいき、フルチンで戻ってきてそのまま下半身裸で読書を再開していたあのチカ君が、アルバイトとサッカーの合間に親を思いやることもできる立派な大学生になりました。


ムスコのお誕生日にかこつけていろいろなことを思い出した今朝

いろんなわたしがいるけれど
そしてそのいろんなわたしをなんとか統合させようとしている生真面目なわたしもいるけれど
ぜんぶひっくるめて
ああ アタシはほんとにいいオンナだな、と、わたしがきちんとそう思いたい。思ってあげたいと、
そう、ヒリヒリとそう思っています。



  


Posted by カヨ at 10:39Comments(0)ブログ思う日々