2024年01月24日
後輩の死
大学時代のサークルのグループラインで
後輩の死を知りました。
去年の9月のことだったそうです。
なぜ亡くなったのかは分かりませんが
数年前、彼は白血病にかかり、
長い治療の末生還して、
また自分の経営するギャラリーを再開していました。
だからわたしはずっと
あの茅場町のおしゃれな雑居ビルで
相変わらず飄々とギャラリーを経営しているものだと思っていました。
ギャラリーを再開してほどない頃
一度彼と会いました。
たまたま東京へ行く用事があり、それが夕方からだったので、茅場町の彼のギャラリーへ寄りました。
待っていてくれた彼はニットの帽子をかぶっていました。治療で一旦抜けた髪が生えてきていて、それがむしろスキンヘッドの頃よりみっともないからだと言って、
「こんな感じですよ」
と、帽子をとって見せてくれました。
「まばら感が赤ちゃんみたいね」
というと、
赤ちゃんって言えばね、
成岡さん俺いま治療のせいで免疫力が赤ちゃんと同じなんですよ。
だからね、子育てしたことあるひとならわかると思うけど、1年間はちみつ食べちゃダメなの。
って。
「やだー!なんか可愛いー!!」
と、二人で爆笑しました。
でもあの時
笑いながらだったけど彼が話す
治療の話を聞いていて
ああきっと、ほんとに辛かったんだろうなと感じたのでした。
血液の癌だから
身体中が痛くて、だるくて
それをどうにかしたいと思う気力さえだんだん奪われていくくらい辛くて
絶望だったと。
その話が、わたしにとって怖すぎて
だけどどうやって気力を湧き出させて、
負けてたまるかと生還してきたのかという内容は忘れてしまいました笑
そのあとは
勤めていたり、家業を継いだわけでもなく、
ふらりと自分で仕事を始めたわたしたち共通の
悩みや幸せや毒で話に花がさき、
じゃあまたね、がんばろね、
と別れたのでした。
思えば彼は
学生時代から「地方出身者」の劣等感をくすぐる存在でした笑
生粋の東京都民
國學院大学久我山高校出身
お父様は何をされてる方か知りませんでしたがお母様は当時「名前が『ぴあ』とかにも出てるから恥ずかしいから教えない」というシャンソンかなんかのシンガーで、そこのひとりっ子。
しかも夫婦仲は破綻している(かっこいいポイント笑)
みんなでスキーに行けば、小さい頃からリゾートで滑っていたような手練れ感満載の服装と滑りで参加し、
1000円以内でプレゼント交換会をした時に買ってきたのがラッピングも何もしていないコンビニで売っていたロードマップで、
合宿で大量のカレーを作っていたけど明らかにカレールーの量が足りないから買ってきてと頼んだらボンカレー買ってきて
「え?違うの?」
ってしれっとしてるオトコでした。
そしてそんな育ちでその行動をとるオトコが
「ねえ親のどっちかヨーロッパのひと?」
っていうくらいの彫りの深いハーフ顔で、すらっとした長身の上に小さな頭が乗っかっているという外見でした。
姉妹と仲良しの両親がいて、
田舎の県立高校から一浪して大学に入って
馬鹿にされないよう、溺れないように気を張って生きているわたしの対極に
彼はいました。わたしにとってね。
それでも彼は、
わたしのことを
「いい女」認定してくれているふしがあり
サークル内でかの有名な振られ男のガリバーが、
後輩の美人ちゃんに振られたあと
どうやらいま成岡さんをロックオンしている、となった時、半分ほんとに涙ぐみながら
「なんで毎回、無理めばっかりに行っちゃうんだよ俺もうほんとに気の毒で涙でできたわ」
と言って間接的に褒めてくれました笑
わたしは、
彼のことをいわゆる「オトコ」として見たことはありませんでしたが、
「トーキョーのスタイリッシュ」を体現している、いや、体現というか元々持っているから
息をするようにスタイリッシュ(変な日本語ですが)な彼がとても好きでした。
そして
大人になって改めて会った時
学生の時はカッコつけて斜めに構えていたところが
「でも、これは頑張ってる方が楽しいよね」
と、変化した、その変化した場所もなんだか似ていて
それも嬉しかったな。
わたしたちが学生だった頃は
カルトなことが人気で、斜めに構えてる人がステキな時代でした。なんとなく。
でも、大人になるにつれて
何もやらずに淵の先に立って「きっと面白くない」と言っているより、飛び込んで水に揉まれてああこういう感覚かと経験していく方が充実しているということを覚えて、きっとその、飛び込み先が似ていたのだと思います。
須知くん
君はわたしの心の中の「トーキョー」の、間違いなくとても重要な1ピースだったし、
それはきっとこれからも変わらないよ。
わたしはあいかわらず
どうしようもないくらい「主役になりたいひと」なので、
須知くんのプロフィールも
外見も
そしてこの
早すぎる死に対しても
嫉妬するくらいかっこいい、羨ましいよって思っちゃう。
一生懸命、生きようとしてたんだろうに
こんな不謹慎なこと言ってほんとにごめんね。
まあ多分
須知くんは面白がってくれると思うけど、わたしはいまちょっと
ああそうなんだ
須知くんもうあそこにいないんだ
って立ち止まっちゃってる。まあまたすぐ、歩き出すんだろうけど。
後輩の死を知りました。
去年の9月のことだったそうです。
なぜ亡くなったのかは分かりませんが
数年前、彼は白血病にかかり、
長い治療の末生還して、
また自分の経営するギャラリーを再開していました。
だからわたしはずっと
あの茅場町のおしゃれな雑居ビルで
相変わらず飄々とギャラリーを経営しているものだと思っていました。
ギャラリーを再開してほどない頃
一度彼と会いました。
たまたま東京へ行く用事があり、それが夕方からだったので、茅場町の彼のギャラリーへ寄りました。
待っていてくれた彼はニットの帽子をかぶっていました。治療で一旦抜けた髪が生えてきていて、それがむしろスキンヘッドの頃よりみっともないからだと言って、
「こんな感じですよ」
と、帽子をとって見せてくれました。
「まばら感が赤ちゃんみたいね」
というと、
赤ちゃんって言えばね、
成岡さん俺いま治療のせいで免疫力が赤ちゃんと同じなんですよ。
だからね、子育てしたことあるひとならわかると思うけど、1年間はちみつ食べちゃダメなの。
って。
「やだー!なんか可愛いー!!」
と、二人で爆笑しました。
でもあの時
笑いながらだったけど彼が話す
治療の話を聞いていて
ああきっと、ほんとに辛かったんだろうなと感じたのでした。
血液の癌だから
身体中が痛くて、だるくて
それをどうにかしたいと思う気力さえだんだん奪われていくくらい辛くて
絶望だったと。
その話が、わたしにとって怖すぎて
だけどどうやって気力を湧き出させて、
負けてたまるかと生還してきたのかという内容は忘れてしまいました笑
そのあとは
勤めていたり、家業を継いだわけでもなく、
ふらりと自分で仕事を始めたわたしたち共通の
悩みや幸せや毒で話に花がさき、
じゃあまたね、がんばろね、
と別れたのでした。
思えば彼は
学生時代から「地方出身者」の劣等感をくすぐる存在でした笑
生粋の東京都民
國學院大学久我山高校出身
お父様は何をされてる方か知りませんでしたがお母様は当時「名前が『ぴあ』とかにも出てるから恥ずかしいから教えない」というシャンソンかなんかのシンガーで、そこのひとりっ子。
しかも夫婦仲は破綻している(かっこいいポイント笑)
みんなでスキーに行けば、小さい頃からリゾートで滑っていたような手練れ感満載の服装と滑りで参加し、
1000円以内でプレゼント交換会をした時に買ってきたのがラッピングも何もしていないコンビニで売っていたロードマップで、
合宿で大量のカレーを作っていたけど明らかにカレールーの量が足りないから買ってきてと頼んだらボンカレー買ってきて
「え?違うの?」
ってしれっとしてるオトコでした。
そしてそんな育ちでその行動をとるオトコが
「ねえ親のどっちかヨーロッパのひと?」
っていうくらいの彫りの深いハーフ顔で、すらっとした長身の上に小さな頭が乗っかっているという外見でした。
姉妹と仲良しの両親がいて、
田舎の県立高校から一浪して大学に入って
馬鹿にされないよう、溺れないように気を張って生きているわたしの対極に
彼はいました。わたしにとってね。
それでも彼は、
わたしのことを
「いい女」認定してくれているふしがあり
サークル内でかの有名な振られ男のガリバーが、
後輩の美人ちゃんに振られたあと
どうやらいま成岡さんをロックオンしている、となった時、半分ほんとに涙ぐみながら
「なんで毎回、無理めばっかりに行っちゃうんだよ俺もうほんとに気の毒で涙でできたわ」
と言って間接的に褒めてくれました笑
わたしは、
彼のことをいわゆる「オトコ」として見たことはありませんでしたが、
「トーキョーのスタイリッシュ」を体現している、いや、体現というか元々持っているから
息をするようにスタイリッシュ(変な日本語ですが)な彼がとても好きでした。
そして
大人になって改めて会った時
学生の時はカッコつけて斜めに構えていたところが
「でも、これは頑張ってる方が楽しいよね」
と、変化した、その変化した場所もなんだか似ていて
それも嬉しかったな。
わたしたちが学生だった頃は
カルトなことが人気で、斜めに構えてる人がステキな時代でした。なんとなく。
でも、大人になるにつれて
何もやらずに淵の先に立って「きっと面白くない」と言っているより、飛び込んで水に揉まれてああこういう感覚かと経験していく方が充実しているということを覚えて、きっとその、飛び込み先が似ていたのだと思います。
須知くん
君はわたしの心の中の「トーキョー」の、間違いなくとても重要な1ピースだったし、
それはきっとこれからも変わらないよ。
わたしはあいかわらず
どうしようもないくらい「主役になりたいひと」なので、
須知くんのプロフィールも
外見も
そしてこの
早すぎる死に対しても
嫉妬するくらいかっこいい、羨ましいよって思っちゃう。
一生懸命、生きようとしてたんだろうに
こんな不謹慎なこと言ってほんとにごめんね。
まあ多分
須知くんは面白がってくれると思うけど、わたしはいまちょっと
ああそうなんだ
須知くんもうあそこにいないんだ
って立ち止まっちゃってる。まあまたすぐ、歩き出すんだろうけど。