2021年03月11日
思い出スイッチ。 3.11 東日本大震災と毛玉だらけの彼女のこと
わたしは
スーパーで泣き叫んでる子をみると思い出す人がいます。
名前も知らない赤の他人で、わたしと同じくらいの年齢の女性です。
10年以上まえ
わたしはまだサラリーマンで、薄給でだっさい作業ズボンをはいて、いつもなんだか寂しくて忙しくて切羽詰まっていました(笑)
2歳にならないかそこらの次男は気分屋で癇癪もちでした(笑)
アピタで買い物をしている最中にだんだん機嫌が悪くなり、そのうちにもう何をやっても泣き止まない、
どんななだめ方をしてもそれが気に入らないといってさらに泣き叫ぶという絶望ループに。
泣きたいのはこっちでした。
いつだって疲れているのにとか今から帰ってご飯作らなくてはならないのにとか
そんなことももちろん渦巻いていたのだと思いますが何よりも、
大切な次男がもう、最近はずっと、ただの爆弾。
いつ爆発するかわからないのでずっと様子を見て丁寧に扱う努力を強いられているただの爆弾で
ちっともかわいく思えないことに憤りを感じていたんだと思います。
ちょっと手荒く手をつないだら、彼はギャン泣きして手を振りほどいて走り出してしまいました。
目の前にその女性が立っていました。危ないぶつかる、くらいの距離と勢いでした。
きっと
その女性はわたしたちのことを見ていたんだと思います。
絶妙なタイミングで、自分のほうに走ってきた次男をそのまますうっと抱き上げて、
「わあー、かわいいかわいい。泣いてる泣いてる。どうしたの?どうしたの?かわいい子だねえー」
と、頬ずりをしました。
え。
と固まる次男とわたし(笑)
あらためて見ると、その女性のまわりには4人の子供がいました。
小学生くらいの子から、次男より少し大きいくらいの幼児まで。
そして、
彼女を含めて全員が、申し訳ないけどちょっとお洋服が古めでよれっとしていました。
長めのストレートヘアに、毛玉だらけのダボっとしたセーターを着た彼女はニコニコ嬉しそうにそのまま次男をわたしに渡してくれました。
「抱っこさせてくれてありがとうー。ほんとかわいい」
いえこちらこそ。どうもすみませんでした。
「いいのいいの。ぼく~?急に走ったら危ないよ~」
みたいな会話をして、わたしたちは別れました。
そのあとのことはちゃんと覚えていませんが、
あの時の彼女の、きっとほんとうにかわいいと思ってすくいあげるように次男を抱いた姿が忘れられません。
あんな、わたしの大好物スナック海味鮮の赤いやつみたいな顔で泣いてる次男をかわいいいって。

あの出来事は、なんだかいろいろ抱え込んで「くっそうなんでわたしばっかり」と卑屈極まりない人間になっていたわたしの
横っ面を張り倒すくらいのインパクトがあったのでした。
だからわたしは、スーパーや、どこかのお店で駄々をこねて泣いている子を見るたびに
彼女のこと
彼女に対したあの頃のわたしのことを思い出すのです。
3月11日。
もう、何度か書きましたが、東日本の地震が起こったのは見学会の前の日で、わたしたちは準備に追われていました。
お施主様が、アパートで使っている家具を見学会で貸してくださるということになり、
取りに伺って、そこんちのお子様たちとわあわあ遊んでいる時でした。
あ、地震、と感じてからことのほか長く、おさまらないのでとりあえずお子様たちを抱きかかえて揺れが止まるのを待っていました。
それしかできませんでした。
そのあとは、ばたばたと準備をしていて、
地震がどんな規模でどこで発生したのかも気にしている余裕がありませんでした。
仕事の電話がことごとくつながらなくなっていたのですが、
それすら、ソフトバンクを呪っていただけで地震と関連付けることはありませんでした。
それが、
とても大きな地震が東北であったのだというのを目の当たりにしたのは帰宅してからでしたが、
当日はまだそんなに映像も多く流されていなかったのでその本当の重大さは実感していませんでした。
津波注意報が解除されず、静岡の駅南地区は閑散としてしまい、
もちろん見学会も惨憺たる結果でした。
数少ないご来場の中、とある年配のご婦人が
わたしが玄関に飾ったインテリアパネルに目を止めて
「あら、もくれん。今、季節だからこれをかざってらっしゃるの?」
と、言われました。
恥ずかしながら、わたしは当時、その季節季節に咲く花に全く興味がなく、
本当にびっくりされるくらい無知でして、
春っころに桜が咲いて、そのちょっと前に梅が咲いてる、くらいにしか生活の中に「花」がなかった。
もちろん、もくれんのパネルを飾ったのは単なる偶然です。
当時、300角くらいのパネルを作ってもらって、そこに自分の好きな壁紙をクロス屋さんに指定して貼ってもらって、
インテリアパネルを作り、家に飾り、そのままお施主様に差し上げたりしていました。
そのもくれんのパネルも、
「わたしの好きな柄の壁紙」
なだけだったのです。
かえりみち、ちゃんと意識していたら、そこここにもくれんが咲いていました。
それ以来、わたしはもくれんが咲き始めると震災のことを思い出すようになりました。
きっと忘れたくないこととか忘れちゃだめだと思ったことは
それを見たら無条件に思い出すスイッチを、人は作っておくのかもしれません。
3.11
今年は思い出すだけではなくて何かできたらいいなとちょっと考えたりしています。
そしてそれとは別件で、ムシのいいわたしは
できることならこの先の人生
あったかくなるような忘れたくないもののための「スイッチ」だけを増やしたいと、切に思っています(笑)
スーパーで泣き叫んでる子をみると思い出す人がいます。
名前も知らない赤の他人で、わたしと同じくらいの年齢の女性です。
10年以上まえ
わたしはまだサラリーマンで、薄給でだっさい作業ズボンをはいて、いつもなんだか寂しくて忙しくて切羽詰まっていました(笑)
2歳にならないかそこらの次男は気分屋で癇癪もちでした(笑)
アピタで買い物をしている最中にだんだん機嫌が悪くなり、そのうちにもう何をやっても泣き止まない、
どんななだめ方をしてもそれが気に入らないといってさらに泣き叫ぶという絶望ループに。
泣きたいのはこっちでした。
いつだって疲れているのにとか今から帰ってご飯作らなくてはならないのにとか
そんなことももちろん渦巻いていたのだと思いますが何よりも、
大切な次男がもう、最近はずっと、ただの爆弾。
いつ爆発するかわからないのでずっと様子を見て丁寧に扱う努力を強いられているただの爆弾で
ちっともかわいく思えないことに憤りを感じていたんだと思います。
ちょっと手荒く手をつないだら、彼はギャン泣きして手を振りほどいて走り出してしまいました。
目の前にその女性が立っていました。危ないぶつかる、くらいの距離と勢いでした。
きっと
その女性はわたしたちのことを見ていたんだと思います。
絶妙なタイミングで、自分のほうに走ってきた次男をそのまますうっと抱き上げて、
「わあー、かわいいかわいい。泣いてる泣いてる。どうしたの?どうしたの?かわいい子だねえー」
と、頬ずりをしました。
え。
と固まる次男とわたし(笑)
あらためて見ると、その女性のまわりには4人の子供がいました。
小学生くらいの子から、次男より少し大きいくらいの幼児まで。
そして、
彼女を含めて全員が、申し訳ないけどちょっとお洋服が古めでよれっとしていました。
長めのストレートヘアに、毛玉だらけのダボっとしたセーターを着た彼女はニコニコ嬉しそうにそのまま次男をわたしに渡してくれました。
「抱っこさせてくれてありがとうー。ほんとかわいい」
いえこちらこそ。どうもすみませんでした。
「いいのいいの。ぼく~?急に走ったら危ないよ~」
みたいな会話をして、わたしたちは別れました。
そのあとのことはちゃんと覚えていませんが、
あの時の彼女の、きっとほんとうにかわいいと思ってすくいあげるように次男を抱いた姿が忘れられません。
あんな、わたしの大好物スナック海味鮮の赤いやつみたいな顔で泣いてる次男をかわいいいって。

あの出来事は、なんだかいろいろ抱え込んで「くっそうなんでわたしばっかり」と卑屈極まりない人間になっていたわたしの
横っ面を張り倒すくらいのインパクトがあったのでした。
だからわたしは、スーパーや、どこかのお店で駄々をこねて泣いている子を見るたびに
彼女のこと
彼女に対したあの頃のわたしのことを思い出すのです。
3月11日。
もう、何度か書きましたが、東日本の地震が起こったのは見学会の前の日で、わたしたちは準備に追われていました。
お施主様が、アパートで使っている家具を見学会で貸してくださるということになり、
取りに伺って、そこんちのお子様たちとわあわあ遊んでいる時でした。
あ、地震、と感じてからことのほか長く、おさまらないのでとりあえずお子様たちを抱きかかえて揺れが止まるのを待っていました。
それしかできませんでした。
そのあとは、ばたばたと準備をしていて、
地震がどんな規模でどこで発生したのかも気にしている余裕がありませんでした。
仕事の電話がことごとくつながらなくなっていたのですが、
それすら、ソフトバンクを呪っていただけで地震と関連付けることはありませんでした。
それが、
とても大きな地震が東北であったのだというのを目の当たりにしたのは帰宅してからでしたが、
当日はまだそんなに映像も多く流されていなかったのでその本当の重大さは実感していませんでした。
津波注意報が解除されず、静岡の駅南地区は閑散としてしまい、
もちろん見学会も惨憺たる結果でした。
数少ないご来場の中、とある年配のご婦人が
わたしが玄関に飾ったインテリアパネルに目を止めて
「あら、もくれん。今、季節だからこれをかざってらっしゃるの?」
と、言われました。
恥ずかしながら、わたしは当時、その季節季節に咲く花に全く興味がなく、
本当にびっくりされるくらい無知でして、
春っころに桜が咲いて、そのちょっと前に梅が咲いてる、くらいにしか生活の中に「花」がなかった。
もちろん、もくれんのパネルを飾ったのは単なる偶然です。
当時、300角くらいのパネルを作ってもらって、そこに自分の好きな壁紙をクロス屋さんに指定して貼ってもらって、
インテリアパネルを作り、家に飾り、そのままお施主様に差し上げたりしていました。
そのもくれんのパネルも、
「わたしの好きな柄の壁紙」
なだけだったのです。
かえりみち、ちゃんと意識していたら、そこここにもくれんが咲いていました。
それ以来、わたしはもくれんが咲き始めると震災のことを思い出すようになりました。
きっと忘れたくないこととか忘れちゃだめだと思ったことは
それを見たら無条件に思い出すスイッチを、人は作っておくのかもしれません。
3.11
今年は思い出すだけではなくて何かできたらいいなとちょっと考えたりしています。
そしてそれとは別件で、ムシのいいわたしは
できることならこの先の人生
あったかくなるような忘れたくないもののための「スイッチ」だけを増やしたいと、切に思っています(笑)