2019年10月10日

「歴史」のないわたし

こうみえて

6歳から日本舞踊を習っていました。
というよりも
習いに行かされていました。

そこには子供がいうところの
「おとこのせんせー」と「おんなのせんせー」がいて、
このふたりは夫婦なのですが
ちょっと太めで優しくて穏やかな妻(男踊りが得意)
ガリガリで神経質、家庭より芸事を重んじてる夫(女形)の組み合わせ。
「おとこのせんせー」は東京で偉いひとたちに教える人だったので一緒に住んでおらず、
わたしたちはいつも「おんなのせんせー」にお稽古をつけてもらっていました。

オトナになってから分かったのですが、
お師匠さんは案外「上」の方たちだったらしく、
オトコの先生は流派の本部に「おつとめ」されていて、
赤坂の芸子さんにお稽古をつけているようなひとでした。

わたしたちは「おとこのせんせー」が静岡に滞在しているときは
彼にお稽古をつけてもらうのですがこれがまあ苦痛。
芸子さんたちを相手にビシバシやっている人がその厳しさのまま小学生のわたしたちのお稽古をつけるのですから。
ふだん、おんなのせんせーにおおらかに教わっているわたしたちなのに、
振付のみならず
指の先、つま先のむき、腰の落とし方、首を振る角度やスピードまで
おとこのせんせーのやる通り、言う通りにしなくてはいけないのです。
それができていないと、レコードぶりぶり言わせて針をむりやり戻してやりなおし。
「ちがうでしょう!手はもう少し上そしたら指がこう!ほら足がお留守!!!ハイ出てくるところからやり直してちょうだいぶりぶりぶり」
「ほら立ち方!膝!なんでそうなるの首は残して脚が先!やりなおし!ぶりー」
みたいなかんじです。


何がいいたいかって言うと
あの当時わたしや姉弟子、相当うまかったってことと(笑)
自分流のあじつけって
基本あってのことなのだなってことです。

姑息なわたしは、一回おとこのせんせーに褒められた個所があると、
似たようなところで軽くミエを切ったりしてみるという暴挙に出るのですが、
たいてい逆鱗に触れる。
「んもう!かよちゃんどうしてそこでそんなことするの!!余計!!んもう!!」(←普段も女形 笑)
と、怒られるのです。
へたしたら、アンタの教え方が悪いんでしょう!!と、おんなのせんせーにとばっちりがいく。
最終的に、わたしや姉弟子は
なんの工夫もせずにおとこのせんせーの指の先まで真似ようとがんばるしかなくなるのでした。

もちろん、100%真似ができてたらわたしは今頃、玉三郎なわけでして(笑)
できっこっちないのです。
小学生だったわたしたちにはそれでもまだ優しかったのでしょうが、
社会人の姉弟子たちはみんな泣かされていました。

でも、
そうやってしごかれて舞台に立った姉弟子たちはみな、
ほかの門下のひとたちが一目置くような、
わたしも袖でみていて鳥肌が立つような踊りをしていました。
不思議と、
その踊りはおとこのせんせーのコピーなどではなくて
姉さんの踊りなのでした。



わたしの

小さいけれど侮れない「コンプレックス」の元は、そこにあるのかもしれません。
自分に対しても
他人に対しても
例えば、
専門学校でちゃんと勉強してきていないのに、
師匠について修行をしていないのに、
何年も何年もその道で打ち込んだという実績がないのに
「わたしにはそのセンスがある、かも」
という根拠のない自信だけで何かを成そうとしているひとや自分に、
とても違和感があるのです。

極端なことを言うと
大学院を出て博士として一流企業の研究所にお勤めして齢70歳という人に説明してもらいながらしか、
リチウム電池は買いたくない、
みたいなかんじです(笑)

それが根源にあるので

なにごともそこまで根を詰めたことのない自分に対して信用ができず
(こうみえて)いざという時の押しが弱い
ですし、
実績の見えて来ない人が
「わたしのセンスでアレンジしちゃいますねー」的な行動をされていると
なんといいますか、そんなにご本人にはビシッと言えないタチなのでアレですがもうね、
反吐が出るわ!
みたいになったりならなかったりするのです(笑)


もちろん
例外もたくさんあって

何を学んだわけでもないのに身もだえするほど絵がうまい
とか
練習していないのにウットリするほど歌がうまい
とか
赤ちゃんくらいの時からびっくりするほど足が速い
とか
主婦なのに何着せてもセンスある
とか
同じスマホ使ってるのにキレッキレの写真撮る
とか
太ってるのになんかいつもモテる
とか
禿げてるのに体毛が濃い
とか



もうそれは神様が与えた天性の宝物。
どうぞだいじになすってください(中島誠之助)


で、何がいいたいかって言うと
わたしは
その拭い去れないコンプレックスを拭い去るためにムキになるのはやめようと思ったのです。
そう思ってしまっている自分を
ちゃんとみとめ、あとは、それでもなお付き合ってくれるまわりのひと達に失礼のないように(笑)精進しようと。

わたしはなにものでもないし
なにもなしてこなかったという思いを抱えてしまっている事実は事実です。
でも
それをなかったことにして気が付かないふりをして
頑固で傲慢になっていくのはね、やっぱりいやだ(笑)

こんなことをふと思ったのも、反応することがあったから。
そして、秋になってちょっと夜が長くなったから。

佳世子、ウォーキングデッドばっかり観てると思ったら大間違いなんざますよ?(笑)













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Posted by カヨ at 17:47│Comments(0)日々ブログ思う
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