2018年04月16日

カタルシス 山作戰の山バーへ行ってきました

カタルシス 山作戰の山バーへ行ってきました



山作戰の「山作戰」を買いました(今さら)

遺作(天草栖郎)の時もそうでしたが、
「ほんとうにごめんなさい、
持っていなくてはならないものを、持っておりませんでした!」
というアルバムです。

もちろん、山作員たるや、全部持っていなくてはいけないのですが、
本当にすいません、借りてました(爆)



カタルシス 山作戰の山バーへ行ってきました

ゆうべの山バーで

いつもなら絶対に涙しない
はじめにうたありき
で泣いてしまい、自分がかなり「解放しないとならない状態」であることを自覚しました(笑)

櫻の木と櫟の木
のときに

あーこれはやっぱり「山作戰」もってろってことかなー、と(笑)





「解放しないとならない」
というのは語弊がありますね。

しないとならない、ことなんて、この世にはそうそうないと思っています。

正確には
「なんか出したい」
「どっか開けたい」

そんな感じなのかなと思います。

うまく言えませんが、べつに、何かに行き詰ってるわけでもありません。
むしろ、
今、走りたくてうずうずしてる感じです。
やることも満載です。

だからこそ、感覚が鮮明で過剰なくらい鋭敏で、
きもちわりーー
と思ったことは子供みたいに残酷にばしゃ、と捨てたくなるし、
えええぇえぇえぇぇぇえーと思ったことははしたなく気が済むまでガン見したくなっちゃうし(笑)
でも、
やっぱりまだ大人ですから(笑)
「なんとなく気が乗らないことだけど、言い訳をきちんと考えて、筋を通して『やらない』方向に持っていこう」
とします。自分にも、、まわりにも、傷をつけたくないから。
いいひと、でありたいし、繋がっていたほうがいいのかなーと己の利を考えるし。

そういうときに、知らず知らずにためているストレスのようなものも、
感覚が鋭敏だと、気づきやすい気がします。

そして最近、思うのですが、
感度よく、自分に正直に感じたり考えたりすることって、
「探す」と逆にうまくできないなーって(笑)

なんか楽しいことないかな
癒されたいな
疲れてるなーたまってるなー
楽しくしてたいな
そしたら癒されるのにな
なんかないかな

と、堂々巡ってると(笑)どんどん鈍感になっていきます。

楽しいことがないともうやっていけない
と考えが固まってしまって
「楽しいこと探すアンテナ」にフォーカスしちゃってるだけの人生になってしまって、
じつは、いろんなことを見落としてる。

少し前まで、
そんな感じでした。

もちろん、

「わたしわかっちゃいました!レベルアップしました!幸せになるなり方引き寄せマシター」

ってんじゃないです(笑)

またね、落ちるんだと思うよどうせ(笑)

それで、

「ああああああもうこんなわたしじゃだめだ誰にも認めてもらえないし飛躍できない気しかしないしデブだしブスだし髪の毛もぱっさぱさだし加齢臭ひどいしもういいんだわたしブッサイクのまま死んでやる」

と、言いだすんです。

それで、不思議とそういう時のほうが、
いろんなことにまったく泣けないんです。
映画も、山作戰もだめです(笑)

どんな悲惨で感動する映画を観ても
なんなら

「え?わたしのほうがよっぽど 悲惨 ですけど?」

って、張っちゃうくらいひねくれて、ふやけて膨張して、表面を硬化させてしまう。

それか、

「疲れて憤ってるわたしが、癒され、泣きに来ました!」
と、言い聞かせて泣くか、

どちらかです。


ひとってね

疲れてるな、と思ったら休んでる(もしくは休もうとしてる)。気づかないうちにでも。
曲者なのは
「疲れてるから休まなくちゃ、なのに休めない」
と、思っちゃってることでね、
よく考えたら疲れは体だけで脳まで到達していない場合(笑)も多々ある、にもかかわらず、
病んでしまう、ような気がするんだなー。

や、よくわかんないけど(笑)



で、
何が言いたいのかっていうと(笑)

今わたしは、
少し前に気にならなかったことが気になったり
まあいいや、と容認していたことが「んもー絶対そういうのイヤ」と生理的にダメになったり、
ほしいなあ、とか、やりたいなあ、と思っていたことが、
そうでもなくなっちゃったりしていて、
そしてそれにたいして
「そんなこといっちゃだめだよ?そんなこと言ったららしくない。佳世子じゃなくなっちゃうよ?みんなもがっかりするかも。離れていく人もいるかも。だまされるかも。もうちょっとかんがえようよ。ね?」
と、言い続けてきたんだな、と思っています。

やりたいことが変わっちゃった
だけじゃなくて
「あまり変えないほうがいいよ」と、自分を引き留める理由を自分に言い続けていた、
ということです。


そしてもちろん、
それが分かったからと言って、わたしはその一連の流れをやめないのだろうと思います(というか、そう流れてるからやめられない笑)


ただ、

こう、うまく循環しているときの感覚を、なるべく覚えていて
頑ななさなぎの中で「ブサイクのまま死んでいくからもういいの」の発作がはじまったときにも
その感覚をたよりになるべくやり過ごすのがうまくなれたらいいな、
と。
そう、思っています。





みなさまにも
ヤマサク・カタルシス、
おすすめします

きちんとCD購入して、暗いお部屋で安全にご自身を開けはなってくださいませ。

注 はじめは難解な歌詞とそう来たかという曲調に戸惑われる方も、だんだん良くなるんやで?ほらもうこれなしではいられんやろ?と、必ずなりますのでご安心ください。


全国 山ルシス推進委員会 静岡駅南支部代表 近藤佳世子



サインしていただきました(いつも)

スタッフのところに
「聴き手」役として佳世子の名を入れてくれたんだけど、
「聴き手」の字がイマイチよめなくてちょっと残念な仕上がりに(笑)
それもすてき
カタルシス 山作戰の山バーへ行ってきました



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