2018年02月16日

ああ違うな、と思ったところから別離は始まるのです

とても好きな映画や本や
作家やアーティストやミュージシャンや

そういうものはなるべくひとり、
または、それが大好きな人たちと
味わうようにしています。

例えばわたしがほんとうにすきですべてをあああああーと味わっていたい映画を見ている横で
「え?は?どういう意味コレ?」
とか、見終わった後なんとなくわたしにとってピントがズレてる感想を言われたりすると
その台無し感たるやすごくって、
そのやり場のない感情を言った本人を憎むことで昇華したくなります。

逆もあって
以前わたしと長男で
「ほぼ全員泣いてるし号泣必至だよ何回みても泣いてしまうよ」と言う映画を観に行って
ふたりしてサッパリ感動できずにむしろドライアイになって帰ってくるということがあり、
それだって例えばわたしがものすごく感動してしまっていたら
長男のドライアイを軽蔑して憎んだのかもしれないです。

感覚が同じもの同士の意見の相違を
あとからお茶しながらケンケンガクガクするのはそれはそれで楽しいと思うのですが、
それは
そもそも、「大きな流れ」
を感じてくれていない人との相違とは違うわけです。

たとえば
20代のころわたしにはとても好きな作家がいました
彼の書く文章のすべてがすきでした。だからなんなら、ストーリーがつまらなくても何の問題もなくらい。
でももちろん、そのストーリーも、
ものすごく、
どうしてわたしが日ごろ感じてるズレとか「え」と足を止めるところとかがわかるの?
というくらい当時のわたしにフィットしていて
まあとにかく「彼のすべてが好き」状態でした。

で、そんな彼の新作を読んでいたのです。
一字一句かみしめるように。
そうしたら、当時付き合ってた男性が、
へえ、みせて
と、手に取ったのです。
そして彼は、
当時とにかくわたしにかっこつけていたかった彼は、
速読が得意で読書は人の三倍はしていると豪語していた彼は、
目の前で
3分くらいでその本をめくり終え、
「ほう。ヤリ マンの女の話なだけじゃん?」
と、閉じた本をわたしに渡しました。


もうね、
そのときの絶望感たるやもうね、

はあああああああああああああああああああああーーーー


って。
八方ふさがりなわけですよ

大好きな作家を
大好きな彼が
わかってくれない、どころか「ただのヤリ マンの話」って。

ただのヤリ マン、
って。

いちばん、
わたしの隙間とか機微とかハレとケとか
おセンチどころとか地中海の感傷とか
哀愁でいととか
そんなのをわかってほしいと思っているカレシが

句読点すら愛おしい作家の作品を

ただのヤリ マンのはなし

て。

もう無理でしょう?(笑)


後日、
どうしても一矢報いたかったわたしはその後しばらくしてから、

彼がインドの本を読んで

「おれさあ、いつかインド行きたいんだよね。
なんか、きっと
いろいろ変われそうな気がするんだ」

と、熱くわたしに語った時

「あーいるよねー
なんかあるとすぐそういうこと言う人ー」

って言っておきました(笑)



だからね
大好きで大事な作品ほど
一人で味わって
え、なに、あなたも好きだったの?
という人と、共犯者のように語り合いたいのです。

そしてね、
近しくて好きな人にほど、
そんな理由でわたしの「すきなもの」を伝えられないのです。



それとはべつに

レストランでは口に合わなくてもそれをなるべく口に出さない。
(もしかしたら隣の人はその味に感銘を受けているかもしれないから) 
映画がたいしたことなかったら何も言わないでその後のお茶をする
(もしかしたら一緒に行った友人は感動しているかもしれないから)
コンサートやライブでは
自分が手拍子やなんや扇動しようとしたり
キャーとかヒューとかじゃなくてちゃんとした感想的な単語を発したりしないようにしています。
(それで雰囲気を壊してしまうかもしれないし、近くのお客さんの気分が悪くなるかもしれないから)

まあ、
コンサートの時は熱くなってますから
わたしも騒いじゃってるしそんなに気にならないとは思いますが


でもやっぱりたまに

ああもう

って思うこともあります。



演奏しているのに
それに背を向けて、演者をバックにした自撮りしてるひとを目の端で見ちゃったり(笑)

せんだっても

すきなミュージシャンのライブに行ったのです。
で、
ほんとにすごく情緒的でわたしにとってはたまらない曲があって
最近よく車の中でもそれ聴いてわんわん泣いてたり(笑)していたのですが、
奇跡的に彼がそれを歌ってくれたのです。


わたしは基本性格がきっととてもいい加減でその場主義で楽観的なので
四六時中「なんとかなる」と思って生きているのですが、
だからこそ、
にっちもさっちもいかなくなって死のうかという話になる
蜷川幸雄の近松心中モノとかが大好きなのです。
本当にそんなことになったらきっと
え?だったら別れたらいいのにー
とか
細心の注意を払ってばれないように付き合えばいいのにー
とか
アラレもなく結論を出すんだとおもいます。
だからこそ、
自分が多分やらないしできないし逃げ出すであろうその
ごったごたが
底なしの魅力をたたえた闇
に思えるのです。

当時高校生のわたしは
平幹次郎が、大地喜和子の首を
「いとしいいいいいいいい。」
と言いながら絞めて殺すのを、
滝のように涙を流しながら観ていました(笑)

いうなればその歌も、
そんな感じの歌なのです
それでわたしはきゅーーーーーっと涙腺を刺激されてしまうのですが、

それをね、
なんなら今日の昼間も現場行くとき車で泣いてたよみたいな曲を
目の前で歌ってくれるって・・・

もう、どっぷりだったのです。

疲れるくらい泣けていたのです。

歌い終わってミュージシャンが

「・・・・・・・・・という、暗い曲でした」

と言ったら私の近くの人が

「え、今の暗い曲なんだ」

と、割と大きめの声で言ったんです。

その後のね、わたしの、

台無し感を取り戻すための努力は相当のものでした(笑)


仕方ないのはわかります
人それぞれですから
センスや感性。
わたしの嫌いな言葉ですが、
センスや感性、としか言いようのない何か
それが、みな違うのですから
いわば、
強風で飛んできた飛来物にたまたま当たった、
そんな感じです。
わたしの3列前の人には聞こえることもなく、飛来物は当たらなかった、
それだけのことです。

強いハートがほしい(笑)

一緒に楽しめる仲間と、「違い」を突きつけられても落ちない強いハート

それさえあればわたしの人生はあともう少し
面白おかしくなれる

そう、
思いました。







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